新型コロナウイルスの影響下にある
九州中会の教会・伝道所の現状報告

先に、新型コロナウイルスの感染拡大の中で苦境に立たされた諸教会の現状を覚え合い、祈りのうちに覚えるために、現状報告を送っていただきましたが、それから約一月が経過し、状況の変化とともに、全部の教会で礼拝が再開されようとしていることを感謝したいと思います。この度の試練が、それぞれの群れの礼拝を強め、豊かにするために主から与えられた良き訓練として受け止められて、義の実が結ばれるに至りますよう祈ります。引き続き、困難な状態が続く中で、わたしたちが互いにいよいよ祈り合い、励まし合うことができますように。
2020年5月31日 ペンテコステ
九州中会 議長 冨樫史朗

中会書記 澤 正幸


長崎
伝道所
  1. 三密を避けながら主日礼拝を一度も休むことなく守っている。 礼拝堂の窓を全開し、風の流れを一定の方向に向かうように調節している。 礼拝中にはマスク着用。讃美歌は自由に歌えるようにしている。 今後は扇風機を一定の方向に向けて稼働する予定である。
  2. ペンテコステの礼拝では聖餐式を執り行う。ただし、感謝会は中止。消毒液などを備えている。 日曜日の朝、体調に違和感を感じた時には礼拝に来ることを避けるよう注意を促している。
久留米
教会
久留米教会では、5月31日(聖霊降臨ペンテコステ)から教会での礼拝を再開します。4月12日から教会に集う形ではなく、日曜日、時を同じくして各家庭において礼拝を守る形をとって来ました(牧師夫妻は、教会で礼拝を捧げる)。そしてその間、毎木曜日、小会メンバーを中心に祈り会を持ち、そこで週報や説教プリントを会員や求道者に発送して来ましたが、今、再び、教会に共に集って礼拝出来る喜び、幸いを皆、思わせられています。高齢者や病院勤務者等、まだ礼拝に集うことが難しい会員もありますが、再開に当たっては感染予防に努めつつ、礼拝を共にして行く予定です。日曜学校も再開します。「神の言葉はつながれてはいない」(Ⅱテモテ2:9)を改めて噛み締めています。
枝松博展
 
大分
中央
教会
感染防止のためのマスクの着用、手指消毒液の設置、着席間隔の確保、殺菌機能付きエアークリーナーの設置、除菌シートによる清拭、礼拝のプログラムの簡略化による時間短縮など、できる限りの手を尽くして礼拝を守り続けています。
6月第一週からは、本来の礼拝プログラムに戻すことを決めました。闘病中や基礎疾患のため出席を見合わせていた数名の方々も、6月から出席できる見込みです。
 
福岡
筑紫野
教会
礼拝、祈祷会とも基本的に通常どおり守れています。ただし、子供のいる家庭、高齢者、求道者等で出席を控える方がいて、礼拝・祈祷会とも出席者数は半数ほどです。祈祷会奨励はそれまで志免教会の金東佑牧師の応援を受けていましたが、4月からは福岡城南教会澤正幸牧師の奨励によって守っています。 この際長期間できなかった求道者・休みがちな教会員への連絡・訪問をこまめに努めたいと思います。
次週礼拝案内看板の、「どなたでもご自由にお入りください」という文言も時機を見て再掲するつもりです。
 
折尾
伝道所
折尾伝道所は、皆元気で、通常通り礼拝を捧げております。特に、コロナウイルスのため、しばらく礼拝を休んでいた70代の初心者が、先々主日から礼拝を回復し、感謝しております。また、憂鬱症のゆえに長期間、教会から遠ざかっていた30代の姉妹が、最近体調が良くなり、自分で運転して礼拝に出席し始め、皆主の恵みに感謝しております。一方、近所の方々と若者達に、どうやって福音を効果的に伝えるか、主の知恵と聖霊の力を求めているところです。それで、来るペンテコステの再現を待ち望み、主に栄光を帰す教会として建て直して頂きたいと思っております。
 
佐賀
めぐみ
教会
久野牧先生は、5月14日(木)佐賀に来られ、5月17日(日)から応援教師として奉仕してくださっています。念には念を入れて2週間、可能な限り外出を控えていただき、礼拝においてもマスク着用、手指消毒徹底、椅子・机等の消毒、換気を心がけて礼拝を守っております。本日(5・28)ちょうど2週間が経ちましたが、みんな元気に過ごしております。
栗林恵一
 
島原
教会
島原教会は、4月19日(日)~5月6日(日)まで、礼拝、祈祷会等すべての集会を休会としていましたが、礼拝、祈祷会については5月10日(日)より再開しています。そのほか靖国神社問題祈祷会や、聖書を学ぶ会、全体祈祷会などの、毎月一回主日礼拝後に開いてきた集会については、5月まで休会とし、6月より再開する予定です。なお第二波への備えについて、今のところ、小会では協議されていません。
畑達郎

志免
教会
  1. 4月12日から5月24日まで政府の緊急事態宣言に併せ、礼拝を休止し、防疫のために集いを控えてまいりました。自粛の間、公式礼拝は牧師夫婦が守り、教会員の皆さんは自宅で行いました。説教文、週報、礼拝案内誌などは、土曜日に教会員のお宅まで挨拶のついでに訪問してお届けいたしました。今回の自粛の時間を経て、教会の皆さんが主の体として集まって捧げる礼拝の大事さをしみじみと感じることが出来たと思います。 神様の恵みのもとで今の状況が一日も早く終結できるように祈っております。
  2. 志免教会は5月20日の祈祷会後、臨時小会を開き、5月31日からの礼拝再開を決意しました。ただし、まだ感染症の恐れが残っていると判断し、第2波、3波の感染事態を避けるため、礼拝時の衛生法則を決めて守りつつ、礼拝を再開しようとしております。ちなみに、また感染の拡散が酷くなる場合、再度自粛体勢に入ることも考慮しております。
  3. 礼拝時の衛生対応に関しては、教会員同士の距離維持、マスクの着用、3密避けなどの衛生守則を堅く守り、礼拝に参加する前に体調の確認、手洗い、消毒液使用、マスク着用の徹底をお願いする予定です。円滑な換気のために猛暑の期間も窓を開けたまま、エアコンと扇風機をつけておく予定です。なるべく、礼拝の時間を縮めるために礼典の変更も不可避になるだろうと思います。食事やお交わりの時間も今年は全面休止を原則としております。
下関
教会
下関教会は5月24日から通常通り、礼拝と諸集会を再開しました。4月19日から開始したYouTubeで礼拝を守り、大阪におられる、一人の姉妹がYoutubeで礼拝を共に守っていますので、礼拝再開の後でもしばらくYoutubeで礼拝のライブ放送をします。
老人ホームや施設におられる方々がまだ、外出ができず、礼拝に参加できないので、それを覚えて、祈っているところです。
 
柳川
教会・
八女
伝道所
礼拝・祈祷会は休まず活動しています。定期小会・委員会は時間短縮し、1時間以内に終了。
コロナ感染拡大予防の対策を継続中。その下での集会活動は次の通りです。
密閉を避けるべく窓を開け、座席の間隔をとり、手の消毒、聖餐式は手袋着用、マスクは着用する、礼拝は60分以内で解散する。愛餐会は休止。特別伝道集会、ペンテコステ礼拝の宣伝を休止する。参加する教会員のみで礼拝する。
稲葉一
 
沖縄
伝道所
4月26日礼拝後、コロナ対策に関する礼拝のあり方について、会員一人一人に尋ねたところ、全員が毎週礼拝を行うべきだという意見でしたので、その後、急遽、臨時委員会を開きました。そこで決まったことは、礼拝を短く簡潔にする。賛美歌を一節だけにする。聖餐式は3ヶ月に一回行う。その日は聖晩餐の説教を行う。間を空けて座る。窓を開き、扇風機を回す。加湿器(次亜塩素酸水対応)を取り付ける。説教はこれまで通りの文章を配るが、中心だけを短く語る。健康に自信のない人は、自宅で礼拝することを勧める(説教と週報を郵送する)。礼拝後の学びは、その週の学習課題を文章にして、自宅で学習する。祈祷会はいつものように、間隔をあけて行う。
  最近はどうしたことか礼拝出席者が増え、子どもも参加しはじめています。この時ぞとばかり、信仰の確信がさらに増し加わることを願って、午後の学びをプリントして、家で自粛している中で、繰り返し精読するように勧めています。プリントの内容は、申命記の解説と旧約預言者の特質(樋口進・関西学院)を合わせて読むことや、「子どもが孤独(一人)でいる時間(とき)」エリーズ・ボールディング著(松岡享子訳)の要旨や、カルヴァンの「ダニエル書3章」(翻訳小塩海平)や、「キリスト教綱要第1篇16章」(神の摂理)です。祈祷会は「キリスト教綱要3篇11章・信仰の義認」難解な文章です。また鈴木保幸ご家族が入会されました。
 
宜野湾
告白
伝道所
6人ほどで守る少人数の礼拝なので、密集は避けられると判断して休まず礼拝を継続してきました。ただ、午後の学びの会は5月中、休みました。6月から再開しようとしています。
 
小倉
教会
4月7日の小会にて、高齢者や各施設や病院に勤務する信徒が多くて、教会での礼拝は困難な方もおられますので、4月8日以降の教会に集まっての祈祷会と礼拝は自粛することを決めました。さらに5月5日の小会において6月9日の小会まで自粛を延期することを決定いたしました。その間、主の日の礼拝と祈祷会の説教原稿をメールや郵送で書く会員にお送りして、各家庭にて家庭礼拝という形で礼拝を守ってくださるようにお願いいたしました。さらに家庭礼拝の参考になればと、日毎の聖句と、祈りもともにお送りしております。
しかし、その期間も教会は閉鎖するのではなく、少人数でも礼拝と祈祷会は守ってきました。祈祷会には毎回数名が、礼拝には10名ほどの参加があります。参加者には礼拝堂の窓を開け、座る間隔を広げ、マスク着用とアルコールによる手の除菌をお願いしております。
1日も早く教会に共に集って礼拝が再開できることを願っております。
金泰仁
 
福岡
城南
教会
4月12日から5月17日まで6回の公開礼拝を休止した。この世の雰囲気に流されるのではなく、小会での議論によってこの決定を行った。休止の間は司式の長老と執事が参加し、通常の式次第で礼拝を捧げた。5月は参加が可能な長老と執事が礼拝に加わった。これまで説教音声をホームページで公開していたが、4月26日からはLINEのグループで礼拝のライブ中継を行い、多い時は20名ほどの参加者があった。インターネットが利用できない方には、週末までに会報と説教原稿を郵送し、聖日に各家庭で礼拝を守ることができるようにした。5月24日から通常礼拝、祈祷会を再開した。讃美歌を歌うことが最も感染のリスクになるのでマスクをして小声で歌うこととしている。試練を通して、礼拝の意味を考え、会員への配慮を反省する時となった。
 
ホドス
神学院
Post-Covid19 : ホドス神学院から報告

報告者 金山徳
九州中会宣教教師

1月19日、最初のコロナヴィルスの感染者の発生以来、3月から4月においてはどうなるかと思われた事態が5月に入って安定期に着陸したと言える状況に変わりました。5月1日の主日礼拝を期にして、韓国の多くの教会が現場礼拝を取り戻し、ペンテコステ礼拝を迎えようとしています。ソウルイテウォンのクラブを中心とした感染者の再拡大もありましたがそれほどではなく落ち着きを見せ、学校の登校も徐々に試行していくところであります。今の韓国の社会の各分野はPost-Covid19の問題の対応に真剣さを見せているところであります。
それでもなお続いておりますパンデミックの状況の中で、前回の報告書(ご参考になればと思います)にもありましたように、ホドス神学院は今年の一学期を中止せざるを得ませんでした。日本の宣教のために祈り合った集まりも中止となり、今後の見通しも立たない窮地に追い込まれています。ホドス神学院と共に主の宣教に仕えていく釜山告白教会も多様な面で弱さを覚えているところであります。韓日教会の宣教的働きを担い合うことを祈りの課題しているホドス神学院のこれからのあゆみについても真剣に神学しなければならない時であります。
  だからこそ、主に仕える者として、教会人として、私たちは今回の事態を通して、まさに「何事も起こらなかったかのように」して、次の時代を迎えることは許され得ないと思います。そこには多くの課題が与えられております。それは、主が私たちの歴史においてあらわしてくださった事柄へただ応答する(response)ことを要求するものではなく、主の民として責任(responsibility)を負わされている事柄であると思います。
  今回の病理的事態によって、主の教会を酷く苦しめたのは何よりも礼拝であると思います。主の民にとって譲ることのできない礼拝があまりも無力に閉鎖されてしまったことへの責任であります。教会が主の教会として、教会会議を通して話し合うことによる教会的決断よりも、政府やメディアの要求に流されて教会の固有性を失わされた形での礼拝閉鎖に至ってしまったという反省であります。勿論、この反省は、長老主義教会として中会的レベルでの議論が「感染」という厳しい状況の故にできなかったという事実を踏まえた上での話であります。だから、過去をなじることではなく、これからどうするかという問題提議であります。
もう一つ、Post-Covid19がもたらしたのは、教会における経済の問題であるかと思います。教会の集まりが難しくなると経済的に打撃を受けることは言うまでもないと思います。特に、借金の返済や賃貸料を支払わねばならない教会にとって、非常な困難を覚えざるを得ない実態であります。こういう類の話になると、主にある交わりという言葉すら言えなくなりがちであります。このような問題はこれからも起こってくるのではないかと思われます。
  次に、それこそ、今のこの時期に、「何事も起こらなかったように」自分の教会や教派に閉じ籠り次のことを考えていこうとする思いに対して警告する責任であります。Post-Covidだからこそ、「ただひだすら」信仰において神学し、決断していかなければならないと思います。それは他教会との交わりであります。「自分の教会だけ」を志向する癖は「何時まで続くのか」と問われるPost-Covidであります。他教会と交わりがなくても、主の意志が貫徹されていると思うのは、私たちが信じる三位一体の神への錯覚であります。教会の礼拝の問題にしても、経済的な問題にしても、主にある他教会との交わりにおいて、大事な事柄として受け止めていかなければならないと思います。
  過ぐる2月、「韓日神学シンポジウム」の主題である「日本的キリスト教はどこまで可能なのか」は、キリスト教信仰における民族的・国家的な境界線に対する問題提議でもありました。コロナヴィルスの故、開催できませんでしたが、それが示唆するのは、長老主義教会は中会においてもっと積極的に他教会と協力し合うことに力を入れていかなければならないことであります。世界教会協議会運動は第2次世界戦争直後、第1回総会を開きました(1948)。それは殺し合う戦争を通して、教会が世界の他教会との交わりの大事さを実感したからでありましょう。だから、このパンデミックの事態を通して、自己閉鎖主義は「何時まで続くのか」と問われる気がしてなりません。
  だからこそ、最後に、「僕は聞きます。主よ、お話ください」(サム上3:10)。という信仰を再確認して、そこから再出発ができればと願います。人間は聞くより、自分から神のことを語るのを好みます。だから「僕が話します。主よ、聞いてください」という形式に慣れています。それは、ただの自分の宗教心が信仰にすり替えられているにすぎません。万物の主であられる主にただひたすら聞くことからPost-Covid19のあゆみが始められますように祈ります。
  ペンテコステは聖霊が吹きかけられることであり、それこそ主の御言葉が発せられることであります。5月31日、聖霊降臨を覚える礼拝によって、主の霊が吹きかけられ、主の御言葉に聞き従う教会として、改革されていくことを祈り求めます。
  主の平安を祈ります。